強すぎる欲求の弊害
仏教の教えでは、欲望は人間の苦しみの根源とも言われるが、全く欲望や欲求がないと何かに向かって努力をすることがなくなってしまう。ようするに程度の問題なのだが、強すぎる欲求は脳に異常をきたしたり、不正な手段でそれを満たそうとしてしまうことがある。
2009年イギリスの神経学者が強すぎる欲求に関連した実験を行った。
この実験では被験者にテレビゲームをしてもらい、その際の脳内の活動を調べた。被験者は2つのグループに分けられ、どちらにも一定以上の好成績を上げれば賞金を出すと伝えた。ただ、一方のグループには少額の賞金額を、もう一方のグループには比較的高額な賞金額が伝えられた。
そしてゲームをやり始めると高額な賞金がかかったグループでは、プレー中の凡ミスが目立った。普段なら考えられないミスをし、簡単に出来るはずのことが出来ない。ゲーム終了後に行われたアンケートでは、賞金が欲しいという気持ちが強かった人ほど脳の報酬系の働きが活性化してプレーへの支障が大きくなっていたことが分かった。
また2004年に行われた実験では強すぎる欲求と「不正」に対しての関連を調べた。この実験の被験者にはアルファベットが書かれたカードを並べて単語を作るというゲームをしてもらった。被験者はいくつかのグループに分けられ、そのうちの1つには無茶な高い目標が与えられた。そして別のグループには「出来る限り努力するように」と伝えた。
この両グループの結果に統計的に有意な差は見られなかったが、「不正の頻度」は大きく違っていた。無茶な目標を与えられたグループの被験者の方が明らかに不正の頻度が高かった。さらにその中でも「目標が達成できた場合には現金がもらえる」と告げられたグループの不正の頻度は一層高かった。
このグループにはあらかじめかなりの額の現金を渡してあり、作ることが出来た単語の数に応じて、その中からいくら持って帰れるかが決まると告げられていた。残った現金に関しては、封筒に入れて封をして、成績を書いた紙とともに残して帰るよう指示し、署名の必要がない封筒と紙は研究室を出る途中に設置した箱にいれてもらった。この説明で被験者に完全に匿名と信じ込ませたが、実際には、どれが誰のものか分かるように細工がしてあった。
ここで意外だったのは、全額持って帰った被験者がほとんどいなかったことだ。そもそも中途半端に改ざんするより、黙って現金を全額持って帰ればよかったはずだ。匿名のうえ既に現金は渡されている。にもかかわらず、不正をした大半の人は持って帰った現金と自分の成績の帳尻合わせをきちんと行っていた。罪の意識かなんなのか。興味深い点ではある。
その19に続く
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