1920年代にオットー・ティンクルパウがアカゲザルを対象にしたある実験を行っている。
その実験でティンクルパウは、サルの見ている前でレタスをカップの下に隠した。カップは2つあり、そのうちの1つのカップの下にレタスが隠されている状態にした。そしてサルを一旦部屋の外に出して、再び部屋の中に入れて放した。するとサルはすぐに隠されたレタスをカップから取り出して嬉しそうに食べ始めた。
次にサルが見ている前で、今度はバナナをカップの下に隠した。一般的にサルにとってレタスよりバナナは好物だ。
そして、また一旦サルを部屋の外に出すが、この時こっそりバナナをレタスに入れ替えた。
再びサルを部屋の中に戻すと、サルは「バナナが隠されているはずの」カップまで走っていき、カップを掴んで持ち上げた。だが、カップの下にあるのはレタスだ。サルは出てきたレタスに手を伸ばしかけるが、やめてしまう。すると次に床を探し、カップの下を再度見て、カップの中や周囲まで見回した。
その後、さらにバナナを探すが見つからない。挙句の果てに実験の観察者に対して金切り声を上げ始めた。結局、最後はあきらめて、出てきたレタスもその場に残したまま部屋を出て行った。
ほんの少し前に嬉しそうに食べていたレタスでさえ、サルは見向きもしなくなった。より贅沢なバナナの存在を知ってしまったからだ。ここまで極端ではないにしろ、人間も豊かになると徐々に贅沢になり、以前であれば喜んだことも喜ばなくなる。人間の脳は手に入れたものでは満足できず、また新たな何かを欲しがる。
その18へ続く
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